9条問題は防衛政策の問題

 今年2月に亡くなった日本文学研究者のドナルド・キーンさんは、生前「第2次世界大戦以後、世界中のあちこちで多くの人が戦争で死んだが、日本人は一人も戦死していない。このことを日本人は忘れてはならない」。そして、「70年の長きにわたって平和であったことは、歴史を振り返っても、とても珍しいことです」とも述べています。それは日本国憲法第9条による制約があったればこそと言えます。
 3年前に亡くなった加藤紘一元自民党幹事長も「憲法9条が日本の平和を守っている。その平和憲法を守って日本の防衛政策は、専守防衛に徹すべきである」と熱く語っておられました。
 それにもかかわらず安倍首相は、2年前の5月、2020年までに憲法を改正すると宣言しました。しかし、景気が思うほど良くならないため消費税増税を延期し、そのことで国民に信を問うとして、7月の参議院選挙と合わせて衆議院を解散しダブル選挙に持ち込み、大勝して憲法改正の国会発議を行うことが懸念されています。
 しかし、何としても改憲を阻止し平和憲法を守らなくては、日本の将来と子孫に大きな禍根を残すことになります。9条改正問題は、防衛政策すなわち従来通り専守防衛に徹していくのか、アメリカの求めに応じて自衛隊を海外に派遣し、米軍と共に戦うのか、という問題、集団的自衛権行使を容認するか否かでもあるのです。
 集団的自衛権とは、同盟国(例えばアメリカ)などが攻撃されたとき、自国への攻撃と見なし、反撃できる権利で、国連憲章など国際法で認められています。しかし、日本の歴代内閣は田中内閣以降「保有しているが、憲法9条との関係で行使できない」との解釈を示してきました。
 安倍政権が「集団的自衛権を行使できる根拠」として持ちだした「昭和47年政府見解」を発した張本人らが、みな「他国への攻撃は、日本国民にとって急迫不正の侵害とは言えず、集団的自衛権は行使できない」としているのです。集団的自衛権を行使容認するとした安倍政権の閣議決定の根拠は、完全に崩れ去りました。
「昭和47年政府見解の読み替え」は、ゴマカシであり不正であることを国民に知っていただきたい。本当に集団的自衛権行使が必要なら、その必要性を国民にきちんと説明して憲法改正の手続きを踏むのが本来あるべき姿です。
 護憲は革新、改憲は保守ではありません。日米安保条約も自衛隊も必要と考える保守の中にも大勢護憲派の人たちがいます。
歴代の首相の他にも、後藤田正晴元法務大臣、野中広務元官房長官、武村正義元大蔵大臣、河野洋平元衆議院議長、加藤紘一元自民党幹事長、古賀誠元自民党幹事長等です。何れも元自民党系ですが、残念ながら、今の自民党には、こうした信念を持った真の護憲派は、村上誠一郎元行革相以外には見当たりません。それまでは自民党を支持し、また岸田文雄氏や宏池会にも期待していただけに裏切られました。以来支持できる政党が無くなってしまい、そこで、「護憲保守の会」や「平和の党」を立ち上げた次第です。
 なお、私たち保守は自衛隊も日米安保も必要と考える護憲(専守防衛)ですが、非武装中立を唱えたかつての社会党、自衛隊は解消し日米安保も破棄する今の共産党とは同じ護憲を名乗っていますが、内容が異なります。
 1968年チェコスロバキアの「プラハの春」(チェコのドプチェク政権のすすめる自由化政策)がソ連の軍事侵攻で潰されたことや1979年のソ連のアフガニスタン侵攻、ソビエトや中国では一党独裁で民主主義が否定され言論の自由など自由権的基本権が守られていないこと等から社会党や共産党に疑問を持つようになりました。また、国連に常設軍は創設されず、それどころか五大国の拒否権発動で国連による安全保障の不十分さを知り、永世中立国のスイスも国土防衛の軍隊を持っており、非武装では不安であり専守防衛の範囲内で自衛隊は必要だと考えるようになりました。
 したがって、9条の解釈も異なるわけですが、9条を改正すること自体には共に反対なわけですから、その点では協力できると考えます。